2008-03-11 06:36:16
アリバイないから武者酒豪 [ ブログ ]
この冬はかなり寒いとみた。
去年は着丈の短い物が流行り、(暖冬だったし)
せめて太ももぐらいまでカバーするボウカンギが欲しいです。高収入でしたし。。
ダウンジャケットが無い私はダウンジャケットリサーチをしました。
いいとこブランド物は軒並み売り切れ。。
で、セール目前残り物をリサーチ。
見た目良かったのがシップス、ビームス、GAP、ユニクロの順。
ざっとですが
シップス9万円、ビームス3万3千円、GAP2万3千円ユニクロ9900円
シップスはセールでも4万はするでしょう。。GAPで9千円ぐらい?
ビームスオリジナルのダウンはちょっち良かったけれど
ダウンがはみ出しまくり。毛だらけになりそう。
ユニクロは5千円ぐらいかなあ、、でも好きな色がなくなるのと
使い捨ては嫌なので
パラスパレスのダウンセールで買えたら。。
アリバイ
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2008-03-11 06:35:57
信じる心はなくても競馬予想はたまらん [ ブログ ]
自分はこの五年間どうだろう。やってみたいことはとりあえずかじった。
極めるってのはどんな人でも難しいのだろうけれど
納得いくまでやって完成度の高いものが作れたり
そうでもなかったり。
意外なものがウケて
ファンが出来たり友達が出来たり。。。
作品は時間がかかっても作っていきたいなあ、、
正直、舞台にもまた立ちたい。
さてさて小島よしお氏は一発屋では終わらないと思う。
凄く面白いし。
お笑い一本じゃなくても
役者とかやっていけると思う。
私はにしおかすみこ氏が不安。ナベプロっていうのも不安だし
こないだのロンハーでボロボロ泣いてたのはそうとうメンタル逝ってるぽい。
競馬 予想
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2008-03-11 06:35:34
金はなくても風俗はかかさず・・・・ [ ブログ ]
銭金が終わってしまった。今後はスペシャルでやるみたい。
深夜時代から知っている私としては
ミクシイじゃないけれど友達の友達が出演したりして
気が気じゃなかった。
ビンボーを白い目で見るって感じで辛くて観れなかった時期もあったけれど
ゴールデンに進出してからは
雰囲気も大分変わってゴールデンで面白くなった部分も。
「ヒノマコト」さんはすっごい覚えている。
5年たつと人も化ける。
収入5万が50万になったり
財務省に勤めたりする人も。
変わらない人もいたけれど。
色んな人、地域があるんだなあと感心しました。
昨日は暗い日記になっちゃったけれど
銭金やセミナーで色んな生き方があるってことを知れただけで
良かった。
風俗
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2008-03-11 06:35:15
高収入だからエレクトーン買う [ ブログ ]
エレクトーンレッスンはちょい厳しかった。
いっつも自宅でアマアマ練習しているせいだけれど
弾ける時にさくっと弾いていってもなかなか高い完成度を
要求されます。。
スポーツテーマの曲をレパートリーにすべく頑張っとります。
さてさて、リリーアレン妊娠かあ、、
ただただびっくり。ポップ、ダンスシーンをリードする二人とあって
どういった子供が生まれてくるんだろう。
まさにサラブレット!
高収入
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2007-12-26 14:33:57
ふはい [ ブログ ]
医療者に否定されている。
ひどい子供たちだ。
親を邪魔者として
せっかく回復してきているのに、
悪化しかねないところに追い出そうとしている。
老親のQOLを下げる。
しかも医療費を無駄遣いする。
でも最後は、そうはしなかったようだ。
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2007-12-26 13:41:46
ヽ( ´ρ`)ノ [ ブログ ]
長女のそくわん症、初めての専門外来に行く。
夫はアッシーに徹し、本当に送迎だけをした。デリヘルしてました。
まぁ説明してもわからないというのが、
本音だから仕方ない。そして高収入じゃない。
予約を入れていたにも関わらず、
久々に一日をつぶすほどの時間のかかる診察になった。
母親のほうが疲れてしまい、
すっかり風邪をひいてしまった。
レントゲンを撮ってこいと言われるまでに1時間。
撮るのにレントゲン室の前で30分。
ヽ( ´ρ`)ノ | Permalink | コメント(0) | Trackback(0)
2005-12-31 00:13:57
吉岡純介は [ ブログ ]
重吉というよりは寧ろひろ子の親友の一人であった。結核専門で、そのためにひろ子は何度も重吉の体について相談して来た。一九四二年の夏、東京は六十八年ぶりとかの酷暑であった。前年の十二月九日、真珠湾攻撃の翌朝、そういう戦争に協力することを欲していない者と見られていた数百人の人々の一人として、ひろ子も捕えられ、珍しい暑い夏を、巣鴨の拘置所で暮した。皮膚の弱いひろ子は、全く通風のない、びっしょり汗にぬれた肌も浴衣もかわくということのない監房の生活で、毛穴一つ一つに、こまかい赤い汗もが出来た。医者は、その汗もに歯みがき粉をつけておけと、云った。しまいに掌、足のうら、唇のまわりだけのこして、全身がゆで小豆の中におっこちた人形のようになった。そして、監房の中で昏倒(こんとう)し、昏睡状態で家へ運ばれた。
二日ほどして意識が恢復しはじめた。最初の短い覚醒の瞬間、ひろ子は奇体な、うれしいものを見た。それは、自分に向って心から笑っている吉岡の顔であった。吉岡が、特徴的に太い眉根をうごかして、浅黒い顔に白い歯を見せて笑いかけている。その顔が、丁度アヒルの卵ぐらいの大さに見えた。そんなに小さく、そんなに遠いところにあるのに、それは吉岡にまがうかたなく、実に鮮明に、美しく見えた。ひろ子は、うれしさに声をたてて笑った。拘置所の中で段々足もとがふらつき、耳が苦しく遠くなって来たとき、ひろ子はどんなに、ここに吉岡さえ来てくれたら、と思ったろう。その吉岡の顔が見えた。ほんとうにうれしい。――だが――再びくらくなる意識のうす明りの中で、ひろ子は全力をつくして考えた。――これは夢だ。どうせ夢にきまっている。うれしがったりしてはいけない。吉岡さんなんかいる筈はないんだもの……。
そこからどの位時間が経ったのか、二度目にまた吉岡の顔が見えた。そのときは、もうあたりまえの大さになっていた。

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2005-12-30 00:13:35
「あんなにしてわざわざ [ ブログ ]
来て頂いたりしたときには来なくて、わたしが待ちくたびれて腰ぬけになったら、かえって。――石田です」
うしろに立っていた重吉を紹介した。重吉は、まだ帰って来た時のままのなりで、嵩(かさ)だかにそこの畳へ手をついて挨拶をした。
「石田です。――どうも永い留守の間はいろいろお世話様になりました」
それは決して、ただ時間の上で永い留守をしていたという挨拶ではなかった。二度と還ることはなかったかもしれなかった者、生活の外におかれていたものが、今帰った、良人として妻のところへ、社会生活のごたごたの中へ戻って来た、その挨拶であった。戦争の中から、妻のところへ生きてかえることの出来た男たちも、何人か、こういう挨拶のしかたをしたことだろう。わきに膝をついて重吉の挨拶を見ていたひろ子は、のどにせきあげて来て、やっときこえるような声で、
「じゃ、また、のちほど、ね」
重吉を立たせた。二つの手を独房の畳の上へは決してつかなかった重吉。そのために、例外のようにひどい判決をうけた重吉。その重吉が、急に世間並のしきたりの中に戻って来て、それをこんなに素直にうけとり、世話になるより、世話になられているという関係の知人にまで真心をもって、不器用に挨拶している。人の一生のうちにざらにある瞬間として感じてすぎることはひろ子にとっては不可能であった。
今、吉岡が、じゃあ拝見しましょうか、と云ったとき、重吉はいきなり背広の上着をぬいでしまった。それも、重吉がただ熱心に診て貰おうと思っていたからのこと。それだけに重吉のいくらかとんちんかんなその動作のこころを解釈するこころもちがしなかった。

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2005-12-29 00:13:10
たった二ヵ月足らずを [ ブログ ]
二人で暮したその家から、十二年の間に一人でひろ子が移った家は、幾軒あったろう。移るたびに、ひろ子は細かく周囲の風景も描き、間どりを話し、スケッチの絵ハガキさえ重吉に送った。それらをみんな重吉はよく知っている筈であった。勿論、今、ひろ子が住んでいる弟の家も。町名、番地、隣組番号さえ重吉は知っている。その家に両親が暮していたとき、重吉も来たことさえある。だが、焼野原となった東京で、かえって来た重吉の心に、めじるしとして感じられたのは、昔の二階家であった。その家は、ひろ子の弟の家の北側が垣根一重のところまで焼けたとき、焼けて跡かた無くなっていた。
自由になって、まだ十日余りしかたたない重吉のとりなし万端に、ひろ子のこころを動かしてやまないものがあった。
十四日の朝、二人がやっと口をきけるようになったとき、重吉はひろ子に、
「どうだろう」
と相談した。
「みんなに一応挨拶した方がいいだろう?」
その一つの家に、焼け出された知人の一家をはじめ三家族が暮していた。その知人と、裏の美術家が、十三日の夜十二時頃まで上野駅の出口の改札に立って、もしか重吉が来るかと待っていたひろ子の道づれをしてくれたりした。
「それは、その方がいいわ」
「紹介しておくれ」
玄関わきの客室に、知人一家は暮している。ひろ子は、そこへ行って、
「昨晩はありがとうございました」
と云った。

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2005-12-28 00:12:37
重吉の、あの歩きつき [ ブログ ]
一歩一歩とゆっくり大きく、いくらか体を左右にゆする歩きつき。肩がゆすれるのは重吉だけの癖であった。けれども、ああいう足の運びかた、それはすべての独居囚がもっている歩きつきと云えた。日ごろ、足元の軽いひろ子でさえ、編笠をかぶり、編笠の内側に出ている編めのジャカ、ジャカに髪の根を気持わるくひきつられながら、女看守につきそわれて歩いたときは、やっぱりああいう工合に、のろく、重く、一歩一歩と歩いた。編笠が視線を遮って、うるさく陰気だからばかりではない。彼等がそういう歩きつきになるのは出来るだけ長く監房の外に出ている時間をもちたいという、我知らぬ渇望からであった。きまった通路を、きまった場所へ、きまった目的のために、きまった時間内にしか歩かせられない。一本の通路の、どっち側を歩くかということさえ歩く人間の気まかせにはさせられない歩行の間、特に独房にいるものは、自分の一歩、一歩を体じゅうで味い、歩くという珍しい大きい変化を神経の隅々にまで感受しようとする。本人たちが自覚しているよりも深いその欲望から、彼等はみんな外の世界にない独特ののろく重い足どりになって来るのであった。
あの歩きつきで、細かい紺絣の袷(あわせ)の着物と羽織とをきて、帽子のないいが栗頭に、前年の冬はいていたひろ子の手縫いの草色足袋をはき、外食券食堂で買った飯を新聞紙にぶちまけたのをたべたべ、重吉は一人で網走から東京まで帰って来た。同じ東北本線を、重吉は四ヵ月前、北海道弁の二人の看守の間にはさまれ、手錠をかけられ、青い作業服、地下足袋に、自分のトランクを背負って北へ向って行った。空腹で、看守がくれる煎大豆をたべて、水をのんだための下痢に苦しみながら手錠ははずされずに行った。十月十四日、十二年ぶりに東京の街をひとりで歩くことになった重吉は、一面の焼原で迷い、ひろ子が住んでいる弟の家のぐるりを二時間も迷ってやっと玄関に辿りついた。その朝、重吉は上野へついて真直に、昔、自分とひろ子とがはじめて一緒に暮した小さな二階家があった町の方角へと歩いた。二階家は上野から来て坂の上にある国民学校の建物が目じるしであった。出迎えに会えなかったその朝、自分のうちへ、ひろ子のいるところへ帰るという重吉の感情の中心に、くっきり浮んだのが小さい昔の家の入口の情景であったということを、ひろ子は感動なしに聴けなかった。


